My Backbone 本と映画と音楽と ~「小清水 志織」こと Yくんのリクエストに応えて~
『人間の壁』(石川達三 著。1959<昭和34>年 後編<全3巻>初版。新潮社 刊)
※このホームページの「脚下照顧」のコーナーから
2学期最後の日曜日は、庭に降り積もる雪を時々見ながらの読書三昧。『いのちの重み ヒユマニズムの
崩壊』(石川達三 著。集英社 刊)を読了し、漱石の『明暗』も半ばを過ぎていよいよ…。前者は学生の頃
に読んで、そのジャーナリスティックな世界人権宣言批判=ヒューマニズム(いのちを大切にすること)批判
(否定でも非難でもないが、現実を踏まえた辛口なダメ出し)に、大きな刺激を受けた1冊。小説では『生きて
いる兵隊』(戦時中に発禁処分)や『青春の蹉跌』、『人間の壁』(どちらも映画化。後者は教育問題)を描いた
のが、石川達三。右派でも左派でもない(右派でも左派でもある)「石川達三派」で「石川達三を頑張った」
石川さん。 2020.12.20
☆補足のための引用
その情熱をもって、教室のなかでも、小さい子供たちを、心をこめて教えみちびいたに違いない。子供たちは
鋭敏な直感力をもって、先生の情熱をまっすぐに感じ、まっすぐに打ち返してくる。
打ち返してくる子供たちの心を感じたとき、先生は鞭打たれる。責任を感ずる。どれだけ熱心に教えても、
まだ足りないのではないか、まだやれる事があるのではないかという疑いを生ずる。先生と生徒との、心の
からみあいが生ずる。それが愛情のきずなだ。教師にとっては一つの泥沼だ。
子供の感覚はけだもののように敏感だ。ひよわな幼い肉体と、幼稚な学問と、せまい経験しかもたないこの
子供たちは、しかし恐るべき直感力をもって教師を評価する。教師の怠惰と、見せかけと、ごまかしと、
から威張りとを、容赦なく発見するが、それを口に出しては言わない。したがって、教室のなかもある意味では
戦いだった。教師は全人格をもって子供たちに立ち向かわなくてはならない。
自分を中心にした極くせまい範囲における、エゴイズムのような個人道徳(※MT注:教育勅語の「父母に孝に
兄弟に友に、夫婦相和し…」を示す)と、義勇公に奉ずるという国家への奉仕道徳はあるけれども、そのあいだが
抜けている。個人と国家とのあいだの、社会というものが抜けている。抽象的な言葉(※MT注:教育勅語の
「進んで公益を広め世務<せいむ>を開き」)はあるが、全く具体性がありません。したがって社会道徳という
ものがまるで空白になっている。
子供を叱るときには、全精神をかたむけて叱らなくてはならないと、私は思っております。口先ばかりで、
まことしやかな言葉で叱っても、子供の心には響いて行かない。一度叱られたら一生その事を忘れないという
ほど、子供の魂のなかに教師の魂をそそぎこむつもりで叱らなくてはならないと、思っております。